SDGsインタビュー

SDGs Interview

粟生町に住んでよかったと
思ってもらえるまちづくり

重田 勝年さん粟生町町会長/粟生リンクの和代表

生まれ育ったふるさとを、もっと暮らしやすいまちにしたい――その想いで地域福祉に取り組む重田勝年さん。明るい笑顔と抜群の行動力、あたたかい人柄が粟生町の暮らしに新風を運んでいます。

のみ指標/「思いやる」お人柄
要素:暮らし

活動目標:
「誰もが、いつでも、どこででも」移動できるしくみを作ろう

持続可能なふるさとの未来を想う気持ちを原動力に

私は粟生町で生まれ育ち、一般企業や貿易コンサルタントとしての仕事を経て、定年後の2014(平成26)年に粟生町町会長に就任しました。地域福祉を強く意識するようになったのは、町会長になってから間もなく、地域福祉委員会を開催した際に、住民の中に生活に困っている人がいることに気付いてからでした。

そのときの私の脳裏にはある光景が思い出されたのです。それは貿易関連の仕事をしていたころに訪れた東南アジアの国々で見た貧困にあえぐ人々の姿でした。「将来、大切なふるさとで暮らす人々の生活が、あのような状況にならないことを願い、困っている人たちのために自分ができる限りのことはしたい」と強く感じ、地域福祉にそれまで以上に積極的に取り組んでいくことを心に決めました。

自分にできることを一つひとつ実行するだけ

粟生町は、江戸時代には手取川を渡る旅人の宿場として栄えた歴史あるまちです。また、工業団地ができてからは、若い世代の転入者も増え、30年ほど前と比較すると戸数は約2倍にまで増えました。転入者が増え、まちに活気が生まれるのはうれしいことですが、私の目には、昔からの住民と若い世代の転入者間に交流がないという課題も見えてきました。

そこで、町内の各班長に想いを伝え、昔からの住民と転入者が同じ班になるように班の再編成に踏み切ったのです。最初はぎこちなさもあったものの、運動会をはじめとした行事に参加するうちに、新たなコミュニケーションが自然と生まれるようになりました。

粟生町が抱えるもう一つの課題として、昔からの住宅街における高齢者世帯の増加があります。交通手段を持たない住民は、どうしても買い物弱者となったり、家に引きこもりがちになってしまいます。そこで粟生公民館を拠点とする福祉団体「粟生リンクの和」を創設し、のみ地域力強化支援ファンドを利用した移送支援に乗り出したのです。現在はリンクの和の趣旨に賛同してくれたメンバーが交代で運転手を務め、利用者の希望に応じたコースで送迎を行っています。

私自身も運転手を務めており、送迎時に町内の方々の生の声を聞けるよい機会になっています。利用者の方からは「助かった」「ありがとう」「また次も行きたい」と声をかけていただくことも多く、そんな時はやりがいを感じますね。利用者の表情が外出ごとに明るく元気を取り戻していく様子は、こちらまで幸せな気持ちにさせてくれます。

SDGsの目標達成に向け、自らの活動を通じて伝えたいのは、大げさに身構えるのではなく自分たちの身の回りのできることから始めれば充分だということです。私自身、これからも自分の人生を楽しみながら「粟生町に住んでよかった」と思っていただけるまちづくりに取り組んでいきたいと思っています。

2030年の能美市のありたい姿は?

乳幼児から高齢者まで、すべての人が安全に、安心して暮らせる市になっていることを願います。特に福祉の面で充実したシステムが構築されることで、「住みよい能美市・住んで良かった能美市」になっていたらいいなぁと思います。

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