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SDGs Interview
沖縄での学びと出会いに
心が動いた4日間
恩納村交流派遣事業参加中学生米澤 桃さん(辰口中学校2年)
道下 ゆきさん(寺井中学校2年)
北川 愛士さん(根上中学校2年)
2024 年2 月、能美市と沖縄県恩納村との間に「教育交流パートナー協定」が結ばれました。同じ年の9 月に、その協定による交流派遣事業として、能美市3 中学校の2 年生20 人が派遣団として、3 泊4 日のスケジュールで沖縄県を訪れました。
沖縄の歴史や文化を体験し、現地の自然に触れ、恩納村の中学生たちとも交流した能美市の中学生は、地域と自分たちの暮らしの関わりについて、さまざまな気付きがあったようです。参加者を代表して、各中学校から3 人の生徒に、沖縄での日々で印象に残った出来事について振り返ってもらいました。
のみ指標/「つなぐ」お人柄
要素:交流・イベント
- 活動目標:
- 多様な人々、多様な世代で交流しよう
歴史を知り、自然に触れて、沖縄を感じたプログラム
――― 恩納村への派遣団に参加した理由は何でしたか?
米澤:元々沖縄という場所とその歴史について関心がありました。琉球王国の時代から独特な文化が受け継がれているし、方言もかわいらしいなと思っていました。
道下:私は太平洋戦争のことについて知りたいと思っていて、中でも大勢の市民が犠牲になった沖縄での戦いのことはぜひとも学んでみたい思いがありました。実際に沖縄の人たちと出会えることも大きかったです。
北川:親戚のおじさんが仕事や旅行で沖縄に行ったときの話をよく聞かせてくれるので、自然と興味は持っていました。派遣団があることは父が教えてくれて、「能美市を代表して沖縄を勉強しに行ってみたら?」と勧めてくれました。
――― 派遣団の4日間のプログラムで、特に記憶に残っていることは何ですか?
米澤:能美市のJAIST(北陸先端科学技術大学院大学)と協定を結んでいるOIST(沖縄科学技術大学院大学)のスイス出身の先生にお話を聞いたとき、先生が研究しているサメの体の標本に触らせてもらって、サメの皮膚の感触にびっくりしました。そのときの質問のやり取りは全部英語でやることになっていたのですが、当日までにがんばって勉強して、なんとかうまくできたときは自信になりました。
あとは2日目に散策した万座毛のビーチの景色がとても美しかったです。その頃には派遣団のみんなも中学校に関係なく打ち解けていて、写真をたくさん撮り合っていました。
道下:沖縄の海は思っていた以上にきれいでした。水が全然にごっていなくて、ビーチの砂の感触もサラサラしていました。
私はやはりひめゆり平和祈念資料館の展示が強く印象に残りました。沖縄での戦争の様子には観ていて心が痛くなるものが多かったです。ひめゆり学徒隊に参加した生徒さんのインタビュー映像などもあって、彼女たちや沖縄の人たちのたどった運命にショックを受けました。私たちの世代がもっと語り継いでいかなければと思いました。
北川:僕もその展示を見て、戦争の悲惨さは分かっていたつもりだったけど、実際に僕たちが思っていた以上の被害や悲劇があったことを知って、とても考えさせられました。
ほかのプログラムだと、同じ根上中学校の先輩で、沖縄で弁護士をされている高塚千恵子さんのお話にとても興味を引かれました。仕事の楽しさや大変さを語られている姿が生き生きしていて、僕も自分を生かせる職業は何だろうかと考えたりしました。
明るさと元気さ、やさしさに驚いた、沖縄人との交流
――― 恩納村のうんな中学校の皆さんとの出会いではどんなことを感じましたか?
米澤:うんな中学校の子たちとはお互いに名刺交換をして話すきっかけづくりをしていました。私が最初に名刺を渡した子がたくさん話をしてくれて、ほかの子にもどんどん紹介してくれたので、人見知りの私でもいろんな子と仲良くなれたのがうれしかったです。
全員が活発で明るくて、コミュニケーションも積極的でした。初対面からずっと「ため口」でしゃべりやすかったです。
道下:うれしいことがあると飛び上がったりして、すごく素直に感情を出してくれるんです。男女も関係なく、みんなで次々話しかけてきてくれました。アイドルグループの話とか、好きな曲のこととか、音楽や趣味の話もたくさんして、話の合う人と出会えたから、時間があっという間でした。
北川:僕たち能美市の中学生とは元気さが全然違いました。面白そうな話題になると、周りの子たちがどんどん寄ってきて話に参加してくれたり、うちの学校では考えられない盛り上がり方だなあと思いながら過ごしていました。
僕がバスケットボール部でキャプテンをしていることを話したら、うんな中のバスケ部のキャプテンや部員の子も来てくれて、バスケの話がたくさんできました。バスケ部の子たちもやっぱりみんな元気だったので、試合でも強そうな気がします。
――― そのほか、沖縄のまちや人からはどんな印象を受けましたか?
米澤:ひめゆり平和祈念資料館の前でお花を売っていたおばあさんが私たちに笑顔であいさつしてくれたり、国際通りのお店の店員さんも明るく接してくれて、想像していた以上に、やさしい人が多いまちだなと感じました。
道下:私が持ち物を道に落としてしまったとき、そばを歩いていた親子連れの方がわざわざ拾ってくれて、「落としましたよ」と渡してくださいました。全体的に活気があって、外から来た私たちにも、皆さんにこやかに接してくれました。
北川:うんな中学校で給食をいただいたときに、うっかり食べ物を床にこぼしてしまったら、あちらの先生がすぐに僕の近くまで来て、「大丈夫?」と声をかけてくださったこともありました。びっくりするぐらい親切で、他人にもよく関わってくれるのが、沖縄の人たちの特長なんだと思います。
恩納村を通じて、能美市の未来を考える
――― 沖縄で学んだり感じたりしたことは、これからの能美市での学校生活にどう生かしていきますか?
米澤:行く前は遠く離れた沖縄の子たちと仲良くなれるか不安でしたが、あちらのみんなに受け入れてもらって、心を開いて出会ってみたら、とても楽しくお話できたことが自分でも驚きだったんです。普段の生活でも積極的にコミュニケーションすれば、同じ学校の子や地域の人たちとも、もっとつながりが広げられるのかなと感じました。
道下:うんな中学校では昼食のときに、生徒のみんなが机をそれぞれくっつけて、向かい合って食べていたのがとてもうらやましくて。コロナの対策もあったから能美市の学校ではやっていないと思うんですけど、来年になったらぜひ提案してみたいです。
ほかにも、学年ごとに生徒が自由に使える「休憩室」も、すぐには難しいけど、できたらいいなと思いました。能美市と恩納村でお互いのいいところを取り入れて、学校生活をより良くできたら素敵じゃないでしょうか。
北川:うんな中学校では学校の校則も生徒が自分たちで決めているそうです。自分たちとは違う地域の中学生の姿を直接知ることができたのは、とても勉強になりました。
沖縄で聞いたことで意外だったのは、沖縄でも若い人たちになると、方言を使うことが減っているそうなんです。方言はその地方の文化だし、能美市ではどうなっているのか気になっています。これから自分で調べて、能美市の方言も残していきたいです。
沖縄と恩納村での4日間は能美市の中学生たちにとって、ほかの地域との違いを知って、自らの地域を見つめ直す機会となったようです。能美市と恩納村のこれからを担う世代が地域の大切さをお互いに学んでいくために、今後も交流事業を継続していきます。
2030年の能美市のありたい姿は?
米澤:以前テレビで見た、国民みんなが笑顔で過ごしている「微笑みの国」の姿にあこがれます。誰かに何か困ったことが起きたときに、近所の人たちがすぐに助けに駆け付けるような、みんなが自然に助け合える能美市になったらうれしいです。
道下:私たち中学生にも地域のためにできることがあるはずだと思っています。沖縄の中学生のように、みんなが積極的に仲良くなって力を合わせれば、2030年の能美市の中学生たちは、地域のみんなをもっと笑顔にできるんじゃないかと思います。
北川:僕の家の周りには野良猫がよくいるんですけど、そういう野生の生き物を保護したり、人間と共存できるようにすることが、能美市の自然を守ることにつながると思っています。一人ひとりが生き物を大切にできる地域になってほしいです。